何人かのお客様からもご心配いただきましたm(__)m
サト先生もアップしましたが、冠元顆粒の製造元、四川川大華西製薬工場は、無事だったとのことです。
建物や施設にも被害はなく、従業員さんも全員無事だそうです。
この工場は最近建てられたばかりで、丈夫に作ってあったのでしょうね。
ライフラインも被害はなく、工場自体は操業可能なのですが、事態が事態だけにしばらく操業停止するとのことでした。
とりあえず一安心なのですが・・・
それにしても街はひどいです、早い救済を祈るばかりです。
成都のことは以前にもサト先生のブログでアップ(下の方を見て下さいネ)しましたが、
三国時代の蜀の国で、その国王劉備玄徳や諸葛孔明のゆかりの品々が展示してある武侯祠や、パンダの飼育研究基地があったり、四川料理も堪能でき、日本からの観光客も多いところです。
私の相談机に吊っている「淡白明志」「寧静至遠」の掛け軸も、一昨年研修に行った時、武侯祠で買ってきたものです。
ところで、三国志といえば、東洋医学史上の医聖、華佗(かだ)が有名ですね。
水虫の塗り薬で今でも華佗膏(かだこう)というのがありますよ。
華佗は麻酔薬を最初に発明したとされ、腹部切開手術をしたと云われています。
また体操健康法や、関西ではあまり使いませんが屠蘇の発明者とも言われているのです。
当時、神医とも呼ばれていた華佗、
魏の曹操が華佗のうわさを聞きつけ、自分のお抱えの医者にしました。
華佗はしばらく曹操に仕えていたのですが、自分の待遇が悪いこと(当時医者の身分は低かった)が不満で、医書を取り行くと故郷へ帰ったきり、戻ってこなかったのです。
これに激怒した曹操は華佗を処刑してしまいました。
その後、曹操は名医華佗を殺してしまったことを生涯後悔したといわれています。
この三国時代の少し前、後漢の時代です。
長沙の長官であった張仲景が、現在でも日本の漢方医学のバイブルである傷寒雑病論を著したのです。
後漢の時代は西暦200年頃まで(日本では邪馬台国、卑弥呼の頃)なので
今から2000年ぐらい前の処方を私たちは常用しているのですネ。