私のおばあちゃんは明治36年生まれ、14年前に亡くなりました。
おばあちゃんといっても、正確には祖母の妹さんです。
ちょっとややこしいので、先に説明しておきます。
私の祖父とその弟(祖叔父)に、祖母とその妹(祖叔母)がお嫁にこられたのです。
早い話、兄弟と姉妹どうしで結婚されたのです。
お姉さんのほう(祖母)は私が2才のころに亡くなったので、記憶にほとんどありません。
ですから妹さんのほう(祖叔母)が実質の私のおばあちゃんでした。
以下、おばあちゃんというのは、その妹の祖叔母のことです。
うちは家業をしていますので、父も母もお店(当時は卸もしていた)で忙しく、食事のことや身の回りのことは結構おばあちゃんがやってくれていました。
ですから、私は完全におばあちゃんっ子です。
今回はそのおばあちゃんの話です。
私の祖父と、おばあちゃんの旦那さん(ここではおじいちゃんと呼びます)は兄弟で本当に働きもので、一生懸命頑張ってお店を守ってきたそうです。
でもおじいちゃんは、病気で三十台で亡くなってしまいました。
私の父が4才のときです。
夫妻は子供に恵まれなかったため、一人になってしまったおばあちゃん
御主人の生き写しのように頑張って働かれました。
お姉さん(祖母)は奥のこと、妹であるおばあちゃん(祖叔母)はお店のこと、というように分担されていたので、
おばあちゃんは、お店ばあちゃんとも呼ばれていましたよ。
実は、祖父も私の父が12才の時に亡くなったので、
(兄弟とも早死でした)
うちは働ける男手がなくなってしまったのです。
それをおばあちゃんと、父の姉(3人)で必至に頑張って家を支えてくれました。
父が予科練に志願したときは、おばあちゃんは本当にショックだったそうです。
父が出兵するまでに戦争も終わり、世の中も安定し、
父も母と結婚し・・・
私も生まれました。
その間もずっと一人で家を守ってきたおばあちゃん
時は移り、私にも子供が生れ、ひいおばあちゃんになりました。
そんなおばあちゃん。
97才で亡くなりました。
老衰です。
大往生だったので、結構笑顔もあるお葬式でしたよ。
それから、中院も無事終り
いよいよお骨をお墓に納めに行くことになりました。
お寺さんで墓標も書いてもらい、
父と、兄と、私、それぞれ、お骨と墓標とスコップ・つるはしを持って
お墓までは歩いて十数分。
父が困ったように話出しました。
「お骨を埋めるところがないなあ・・・」
先祖代々の墓もあるのですが、ここ近年(といっても何十年)の親族は、個別に墓石や墓標で納めているため、お墓の中の空き地が少なくなってきているのです。
「おばあちゃんの旦那さんの隣には埋められんの?」 聞きました。
「うーん、旦那さんの墓標は朽ちてきて、今30cmぐらいになってるけどなぁ、隣はちょっと狭いなあ」 と父が言います。
「まあ、行って考えよ」
歩き続けました。
また父が、ぼそぼそと話しだしました。
おばあちゃんの昔の話です。
実はおばあちゃん夫婦は、家を建てていたのですが、
完成に間に合わず旦那さんは亡くなってしまい、
結局は二人で一緒に新居に住むことはできなかったのです。
おばあちゃんの隠居のことを私らは「新築」って呼んでたのですが、
私は、小さいころ、しょっちゅうその「新築」でおばあちゃんと一緒に寝てました。
そうだったのか・・・
こんな話、一度も聞いたことなかった・・・
おばあちゃん、本当はさびしかったんだろうな・・・
父の話を聞き、そんなことを想いながら歩いていると、お墓に着きました。
父が 「さあ、どこに埋めよかなぁ・・・」
と、お墓を見た瞬間、
三人とも思わず、あっ! と声をあげました。
なんと、旦那さんの墓標の根元が完全に朽ちて、
墓標がポロっと横に倒れていたのです。
そして、その跡には小さな穴が・・・
そうです、旦那さんのお骨を埋めた跡です。
「ここにおいで、待ってたよ・・・」
本当にそう言っているようでした。
数日前に父がお墓の草取りに行ったのですが、
その時は朽ちながらもしっかりと立っていた墓標が・・・
なんとおじいちゃんの粋なはからいなんでしょう!
迷わず3人で、おばあちゃんの遺骨をおじいちゃんの墓標の跡に納め、新しいおばあちゃんの墓標を立てました。
おばあちゃん、やっとおじいちゃんといっしょだね
この世で一緒にいられなかった分、天国で二人で幸せになってネ・・・
とても心があったかくなった一日でした。
5月21日は亡きおばあちゃんの誕生日です。