漢方薬との出会いは、自身の月経不順がきっかけ
薬学部4年生のとき、研究コースでのストレスで月経が止まってしまいました。目の前には国家試験と就職が控え、毎日が慌ただしく、結婚や妊娠は非現実的。月経痛に煩わされることもないこの状態が楽だと考えていました。
卒業後、愛知県の知多市民病院に勤務しました。その後も月経は無かったのですが、月経不順で悩んだ記憶があまりありません。それほど無頓着だったのですね。2年経過しさすがに心配になり、副薬剤部長先生の紹介で他の病院の婦人科に通った記憶があります。その頃の記録を見ると、生理は来るけど、情けないほどの基礎体温です。最終的に漢方薬が処方されました。
「漢方薬が効く?」不思議な感覚でした。
その頃から私は漢方薬を勉強しようと思い始めたのです。1988年漢方薬の研究会に月1回通い始めました。勉強しても、私の環境ではそれを使えるチャンスは無く、自分にも試さず、生理不順は改善しませんでした。
自然薬、漢方薬のおかげで、子供を授かる!
結婚前、「子供は出来ないかもしれない。」と崇浩先生(主人)に真顔で言っていた時期もあり、子供部屋を用意しなかったほどです。結婚後服用し始めたのが、若甦など自然薬や、漢方薬。驚くことに、今までガタガタで低かった基礎体温が、服用し始めた瞬間から上がり、そのうちきれいな高温期になり、こんなにも変わるのかなあと感嘆しました。
そして、崇浩先生の体調が悪くなる直前に妊娠。今でも神様からのプレゼントだと思っています。その後すぐに崇浩先生は3年間の入退院生活へ突入。私はおなかの子に支えられ、崇浩先生の闘病期も心を強くしてがんばれました。
中医学との出会い
知人の紹介で日本中医薬研究会に所属し、大阪まで月1回中国中医師の研修に通いだしました。それが私の中医学との初めての出会いです。
中医学に出会ったとき、今までの総まとめのような感じを受けました。昔独身時代に受けた漢方の講義とは違い、とても理論的で分かりやすく、予防と養生を大切にするところや、人間を小宇宙と考え、そのバランスを取っていく方法が、私の心に自然に溶け込んできました。
国際中医師への道
「国際中医師になりたい!」 いくつかの条件をクリアしたら中国政府認定のこの資格試験を受けることができるようになったと研修で聞いたとき、漠然と思ったのです。
私はそのとき小学生の子供を2人持つ母でもあり、様々な研究会に通い勉強する身であり、これ以上勉強量を増やすことで自分の首を絞めるようなことはやめようとその思いを消していました。この資格を取るためには中国中医学大学の教科書と向き合わなければならず、今まで触れたことも無い簡体字(中国文字)を読むことになり、かなりな労力であることが想像できました。その労力のわりにあまりにもメリットが少なすぎる、そう思いました。
そんな私が試験を受ける気持ちになったのは、いつも一緒に勉強させていただいている先輩であるK先生からのメッセージです。
「この資格を持っていないと自分のお客様に対して申し訳ない。そう思って試験を受けた。」その一言は私の胸に響き、何時も頭から離れなくなり、私にとんでもない決意をさせたのです。
「H17年は長女が受験期に入る。それまでに何とかしよう。」
思ったより簡体字の読解は難しく、大変な翻訳作業は遅々としてはかどらず、今から思っても大変な毎日。夫と子供の励まし(ひやかしもふくめて)が無ければ挫折していたかもしれません。
10月台風のさなか試験を終え、2005年7月初旬、9ヶ月近く待ったのち、合格の知らせを受けました。
周期調節法との出会い
自分の生理不順がきっかけで学び出した漢方薬。興味は次第に婦人病に向いていきました。次第に子宝に悩む方の相談を受ける機会も出てきました。
そんな中、1996年発行の読売新聞日曜版、袁世華先生の周期療法についての記事を目にし、漢方の「周期療法」に興味を持つようになり、その考え方を取り入れるようになりました。独学に限界を感じていたころ日本中医薬研究会で2001年4月周期調節法の研修が始まったのです。
夏桂成老中医との出会い
今の私があるのは、2001年に立ちあがった不妊部会のおかげです。そのころは毎月送られてくる勉強資料とビデオで、不妊治療に関する西洋学的な知識と、中医学の知識の習得に専念しました。不妊治療に今までとは違った奥深さを感じ、今の基盤が作られていきました。
1年間研修を重ねたころ2002年8月、南京中医薬大学付属病院から周期療法の大家「夏桂成」先生が来日され記念講演が開催されました。その時の感動は今でも忘れません。
中国南京での周期調節法の研修
「夏先生の周期調節法中国研修に参加したい!」でも、子供はまだ小学生。それに、1週間私が家を離れることは、お店と家庭共に大きな負担です。中国でどのように周期療法が行われているか、どれくらい役にたっているかこの目で見て、自分の進む道を確かめたい。思いは強く、崇浩先生は賛成してくれました。春の研修を楽しみにしていましたが、SARSの影響で延期、2003年11月、1回目の南京中医薬大学付属病院研修に参加しました。
南京中医薬大学付属病院は、1日の外来患者が2010年には1万人になるほどの大病院です。漢方薬による病院ですが、内科、眼科、循環器科、産婦人科、男科などに分かれています。 特に優れた中医師ばかり集めた「名医堂」。そこで夏先生は診察されていました。
夏桂成先生の診察室での研修は、今私が進んでいる道が間違いではないことを確信するに十分なものでした。診察室には連日遠方から患者が詰めかけ、早朝暗いうちから順番を取るために受付の前に並んでいます。夏先生は国にとって大きな功績を残したという意味で老中医という称号が与えられ、南京中医薬大学付属病院でも大切にされていたのです。
この中国研修が私に与えた影響は大きく、その後毎年欠かさず中国研修に行くようになりました。現在まで中国研修は15年間14回にものぼります。その間夏桂成先生はさらに功績を認められ、国医大使になられました。
NPO法人日本不妊カウンセリング学会認定不妊カウンセラーに
子宝相談をライフスタイルにと思い始め、子宝相談が増えるに従って、高度な西洋医学の知識が必要になりました。日本不妊カウンセリング学会の存在を知り、2005年から研修をうけ勉強会に参加するようになり、2007年6月、不妊カウンセラーの認定を受けました。その後、毎年不妊カウンセリング学会などに出席し、最新の西洋医学情報を取得するように努めております。
2001年より子宝相談をライフスタイルにすると決意してから、たくさんの方と喜びを共にしてきました。そして多くの涙を見てきました。毎年不妊カウンセリング学会、中国研修、東京、大阪での勉強会、様々な会に参加するのも、さらに自分の実力を高めるためです。漢方治療率も、妊娠率も以前よりかなり向上しましたが、まだまだ満足できません。もっと何かできるはず、もっと幸せになってもらいたい。日々そう思いながら東奔西走しております。悲しみの涙を前に私を駆り立てるものがあります。1人でも多くの笑顔を見るため、これからも努力し続けようと思います。