昨日は恩師のお葬式でした
私のではありません。
おぼっちゃまの
それもスキーのです
木之本から八草峠を越えて少し行くと
遊らんど坂内スキー場があります
そこのスキースクールの校長先生をされていた神谷さん
このスキー場はプラスノーといって斜面にプラのブラシのようなのが敷いてあり
春~秋までスキー板ですべることが出来ます。
(でも、肝腎の冬は雪不足でオープンできないことが多い・・・^^;)
おぼっちゃま小学校4年(だったか?)の夏
ちょっとのぞきに行って見ました
ちょうど大回転のレースが開催されていたのです
こんな夏の暑いときに、みんなスキーはいて、レーシングワンピを着て・・・
子供から大人まで、30人ぐらい参加して、結構にぎやかに・・・
なんじゃこりゃ、こんな世界があったのかって、
それも木之本から山越えたら すぐ ですからね
で、お坊ちゃまも早速お世話になることに・・・。
当時はジュニアの子たちも多く、長浜、大津、愛知県、三重県、遠くは神奈川からも。
熱心にジュニアたちに指導する神谷さん
それにつられ、子供たちも、その親たちも・・・
本当に熱くなりましたよ。
おぼっちゃまも小学校5~6年は、ほとんど毎週土日通ってました。
その後スキー場も色々あって神谷さんは別のスキー場へ
おぼっちゃまも中学~高校となり、指導してもらう機会はあまりなくなりました。
でも、冬になると大会の成績や調子などいつも気にしていてくれました
中2の大腿骨骨折の大怪我のときも、真っ先に電話をくれて
おぼっちゃまを励ましてくれましたね
おぼっちゃまがここまでスキーにのめりこむ原因となった、紛れもない張本人です
その証拠に当時の子たちはほとんどが今でもスキーを続けていて
全中、インハイ、国体選手になってますよ
本当に、本当に、熱い、暑い、厚い、篤い 人でした
そんな神谷さん
53歳
あまりに
早すぎます
惜しすぎます
でも
本当にありがとうございました
神谷さんとみんなで共有したあのひと時は
一生の宝物です
これからは天国というゲレンデで存分に滑ってくださいね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
合掌
遊らんど坂内での一コマ